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2008年1月31日 (木)

多様性の確保

たびたびここでも話題にしている、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」。大分前になるが、青森のりんご農家で無農薬栽培を成功させた人が出演していた。無農薬栽培というと、常識的には完全に無視から隔離した無菌室のようなところでの栽培を想像してしまう。ところが実態はそのまったく逆で、多種多様な生物が生息する環境を作り、上手に食物連鎖の仕組みを機能させることで害虫が減り、無農薬栽培が成功したという。

別の話で、大型の魚などを食べると、その魚の体内に溜まった重金属を摂取することになるし、野菜を食べると農薬が体内に蓄積する。食物連鎖の最終地点である人間には、とかくこうした毒物が溜まりやすい構造となっている。これをいかに回避するか?ある専門化の見解によると、「多種多様な食物をバランスよく食せばよい」そうだ(昔買ったCD付きの英会話の本で、そうした話がなされていた)。日本でも、「健康のためには1日30種類の食物を摂取せよ」、なんて話をよく聞くが、何事もバランス、ということは普遍的な真実といえるだろう。

さて、企業経営の話。ご存知のとおり私は中小企業診断士だが、なぜ中小企業を応援することを、人生の使命に据えたか?、そのひとつの答えが、日本社会における多様性を確保し続けたい、と言うこと心の奥底であるのは間違いない。大企業ばかりじゃつまらない。大小さまざまに、バラエティに富んだ企業が存在してこそ、日本社会もダイナミズムを持ち続けられる、その思いを胸に秘めつつ、今後も中小企業の経営支援に邁進してゆきたい。

2008年1月30日 (水)

KYにご用心

昨年、一躍普及した言葉”KY”。空気を読めない状態または人に対する侮蔑語である。

飲み会の場などでのTPOをわきまえない言動や、電車の中など公共の場で振る舞いについては、「空気を読め」という忠告は重要かもしれない。しかしこの言葉は、何でもかんでも”周りに同調せよ”、となりかねないので、濫用は危険だ。

昨今のニュースで言えば、名古屋私立大学医学部における汚職事件。”空気を読んだ”学位申請者は、審査員である教員に金銭の授受を行う、ということが慣例化していた。

さらには製紙業者による再生紙配合率の偽装事件。こちらも業界の”空気を読んで”、各社なかよく古紙の配合率をごまかした。

こんな形での”空気を読む”ことは要らない。KYという言葉に惑わされず己を貫く行為、そこから大きな進歩や革新が生み出される。それを十分に認識しつつ、TPOをわきまえた常識人であれ、日本人よ。

2008年1月27日 (日)

仕込み8割

料理の世界では「仕込み8割」という言葉がある。成功を導き出すには準備が一番大切だ、という意味である。登山家や探検家も、「いかに冒険しないか」が、事の成否を分ける、そのための事前準備の重要性を説いている。

さて、本日大阪国際女子マラソン、マラソン初体験の福士加代子選手は、前半は大会記録か、というハイペースで走ったものの後半大失速、35キロ過ぎからはジョギングペース、最後はふらつき転倒しながらも、2時間40分を過ぎ19位で何とか完走した。最後は足も止まってしまい、体力は尽き果てているにもかかわらず、気力だけで完走、その壮絶な姿は大いに心を揺さぶった。

しかし、である。事前のスポーツ紙を読んでいると、そもそも彼女は練習の中で一日30キロは走っても、40キロを超える練習はしていなかったという。彼女は1万メートル走では国内で敵なしの存在。彼女も、そしてコーチ陣も、「そのスピードを活かしさえすれば、マラソンでも何とかなる」という思惑だったかもしれない。しかし42.195kmを走るマラソンは、さすがに手ごわかった。彼女はまだマラソンを走りきる体をつくり上げていなかったのだ。

スタートラインに立つとき、実は勝負は決している。そんな言葉を改めて思い起こさせる、本日のレースであった。

2008年1月26日 (土)

ネーミングライツ反対論Ⅱ

以前、「公共的施設は地図や道路標識、イベント告知ポスターなど、様々なシーンで影響を及ぼすため、ネーミングライツでコロコロ名称を変えるのはいかがなものか?」という記事を投稿した。ちょうど、楽天の球場名を”フルキャスト”と西武ドームの”グッドウィル”が相次いで不祥事を起こした時期である。

http://noir-kuon.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_fcca.html

球場名に限らず、「その会場どこ?」と混乱を招かないため、告知ポスターに『日本ガイシホール(元レインボーホール)』などと書かなくてはいけないため、利用者側からは不便が大きい。さらには道路標識など交通案内関連への変更を要すなど社会的コストがバカにならない。

てなことを懸念していたら、またまた楽天の球場がネーミングライツの負の部分の影響を受けた。フルキャストの次は日本製紙がネーミングライツ権を買い取ったところ、例の再生紙の偽装問題発生だ。「日本製紙クリネックススタジアム宮城」は早々に「日本製紙」の名称をはずす羽目になった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080125-00000098-mai-base

松下電器は会社名を「パナソニック」に変更するしたことによって、300億円のコストがかかるらしい。そこまで行かないにせよ、”名称変更”は見えないところで莫大な費用を要する。果たしてそれに見合う仕組みなのか?今一度考えなおす必要があるだろう。

2008年1月25日 (金)

オリジナリティとは

オリジナリティ(Originality)とは辞書によると、

①独創力[性];新奇性,

②本物[原物]であること

とある。とかく①の独自性とばかり解釈されるが、「オリジナル」とは”原型”の意味であることから、②の意味が本来の意味であると、どこかで読んだことがある。

本日、企業支援の関係で、初めて志摩半島に行った。”志摩スペイン村”の派手な看板と、人通りの少ない駅前の風景とのギャップが妙に印象に残った。スペイン村は、1994年の開業初年度は370万人を越える来場者数で黒字を実現したものの、翌年以降は赤字経営に陥り、近年の来場者数は半分以下の150万人~180万人で推移している。

 名古屋には、”イタリア村”がある。ここには、、ミケランジェロのダビデ像の”レプリカ”や、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の真実の口広場にある真実の口の”レプリカ”などが設置されている。開村当初は年間400万人に達した入場者も、2008年1月現在では半減し、運営会社の負債は約100億円に上っているらしい。現在はオリックス社等が支援の手を挙げている模様だ。オープンからわずか2年、凋落するには早すぎる。

 洞爺湖サミットで世界のVIPを招く北海道、ニュースでは”赤毛のアン”をテーマにした『カナディアンワールド公園』を有している芦別市が、カナダ元首の来訪を心待ちにしているらしい。ここに至っては、かつては”カナディアンワールド”というテーマパークであったが、赤字続きのため1997年10月をもって閉園。その後、芦別市が施設を再利用する形で、無料の市民公園として再出発させているとのこと。ちなみに運営会社であった第三セクター「星の降る里芦別」は、2007年6月に破綻している。地元の人はこのような状況を皮肉って『赤字のアン』といっているらしい。http://www.momonga.gr.jp/etsuko/Canada/whatc.html

 それはさておき、これら施設に私はどうにも拭いきれない違和感がある。そしてその違和感と、業績の不振とは強い相関関係があるように思える。その違和感とは、地元の文化とは全く関係ない、「ツギハギ」の文化を無理やり持ち込んだことである。そこには日本における”新規性”はあっても、真の意味での”オリジナリティ”はないからである。そもそも、イタリア、スペイン、カナダが本当に好きな人は、現地に飛んでいるはずだ。

 逆に、黒川温泉や日間賀島などは、真の意味での”オリジナリティ”を追及した成功例であるといえる。黒川温泉は温泉と木々、日間賀島は海とタコやフグなど海の幸である。いずれもその地域に深く根ざしている良さを、"明確な意図"を持って存分に引き出すことで、真の”オリジナリティ”を獲得し、訪れる人に深い満足を提供し、リピート化を促している。

 冒頭で志摩を悪く言ってしまったが、本日、志摩の伝統息づく、本来の魅力を域外に再発信する”タネ”に、本日出会った。なんとかこれを支援して、オリジナリティ溢れる地域を一つ一つ増やしていく、そのお手伝いをしてゆきたい、帰りの電車の中で改めてそのことを強く思った日であった。

2008年1月14日 (月)

自由と公共の福祉の狭間で

昨年奈良で起きた「駆込み妊婦流産事件」以来、救急患者のたらいまわしが大きな問題としてクローズアップされている。マスコミやとかく医療機関および医療関係者を悪玉とし、それを非難することで解決を望んでいるようだが、事態はもっと深刻のようだ。

「医療崩壊」に関わる書籍を数冊読んだが、第三者によってかかれた『貧乏人は医者にかかるな!―医師不足が招く医療崩壊』(永田宏著)は、非常に説得力のある内容であった。国の政策ミスと我々国民の医療機関への過度な期待によって、医療関係者を追い詰め、医師不足に拍車をかけ、確実に医療崩壊が進行しつつある、というのが本書が訴えかけたい内容である。具体的には下記のとおり。

①国の政策ミス

・医療法における人員基準(住民辺り医師数の基準)が、いまだ昭和23年策定時のまま。しかも、医師数の最低基準を定めたはずなのに、それが標準値となり、いつの間にか「医師数抑制」を推し進めるための上限値になってしまっている。
・厚生労働省は、「医師数は過剰、偏在だけが問題」といったん表明した手前、数字のボロが出たら65歳まででカウントしていた医師数を、いつのまにか年齢上限なしでカウントし、あくまで「医師不足でない」と言い切る欺瞞ぶり。

②我々国民が医療関係者を追い詰める。
・医療訴訟で医師を追い詰めることで、外科・産科など危険な分野がますます敬遠され、現場がますます疲弊してミスを誘発するという悪循環となっている。
・安易な救急車への通報が増え、肝心な患者を救えない皮肉な結果となっている。

そしてこれらに加え、病院の勤務医減少に拍車をかけているのが、04年に始まった「新医師臨床研修制度」である。この制度改訂によって、2年間の研修を義務付けられた新人医師が個人の「自由意志」で研修先を選択できるようになった。この結果、地方の大学では母校の病院に残る新人が激減、そのしわ寄せが現勤務医にのしかかり、ますます激務に、その激務を逃れるため独立開業、さらには医療界そのものからドロップアウトする医師が増えているという。

昨今、「個人の自由意志」と「自由市場における競争」が最適化をもたらし、世の中をよりよい方向に導いてくれる、という幻想がまことしやかに吹聴されていきた。しかし、「医療」という公共性をもつ世界においては、「野放図な自由」だけでは人々は幸せになれない、そのことをよく考え直す必要があるのではないか。

今後、ますます救急患者のたらい回しによる悲しい事件は増えることはあっても減ることはないだろう。マスコミや政治は表面的な対策に終始することなく、その深層にまで入りこみ根本的な対策を打ち出すことを望みたい。

2008年1月13日 (日)

一人暮らしを始めて・・・

長年住み慣れた岐阜市の自宅から名古屋のワンルームアパートに引越して、早いもので半年以上が経とうとしている。一人暮らしを始めた目的の一つに「一生活者として、買い物や掃除・洗濯、果てはゴミの分別に至るまでを経験する」ということがあった。

約半年の生活を踏まえて、強く感じたこと2点を記す。

①一人分の食事がなかなかない。

 スーパーパーマーケットの食材は、基本的に家族を前提にパックしてあり、なかなか一人では使いきれない。最近は、煮込みうどんをよく食べるのだが、いずれも一つで2人前以上である。しかも、袋詰めを2人前でしてあるので、一度開封したら早めに残りを食べきらなくてはならない。せめて1人前ごとに袋詰めをしてもらえないか?

 コンビニ利用者で、高齢者の構成比が徐々に増えつつあるようだが、食が細くなる高齢者や単身ニーズに、食品スーパーはまだまだ応え切れていないことを痛切に感じる。

②コンビ二はレシートを渡さなくて当たり前。

 一人暮らしをするにあたり、私は生活がどのくらいの金銭で成り立つのか興味があったため、毎月家計簿をつけている。アクセスで簡単につくったデータベースである。そこで日々、戸惑いを感じているのが、コンビニや駅の売店で買い物をした際、多くの店でレシートを要求しない限り渡してくれない、ということである(さすがに最寄のコンビニはしつこく要求し続けた結果、要求せずとも渡してくれるようになったが・・・)。

 もらったものを捨てるのは自由。しかし商取引の基本原則として、取引の証憑たるレシートを購入者に渡すことを徹底してもらいたいものだ。

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